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松村秀『論文捏造』

2000年から2002年にかけて,アメリカのベル研究所の1人の科学者ヤン・ヘンドリック・シェーンが起こした論文捏造事件をNHK取材班が追跡し,ドキュメンタリーとしてまとめたもの.物理学界を揺るがす発見とその顛末があったことを,初めて知り衝撃だった.高校や大学時代の彼の人となりから,捏造とわかり姿をくらました彼の現在までを徹底的に追っている.

シェーンという若手の科学者のやったことや環境を知ると,実験ノートやサンプルがほとんど残っていない,リーダーの研究内容の確認が甘いなど,STAP細胞の小保方氏と類似している点も多く挙げられる.やはり捏造が起こる環境には,なんとなく傾向があるんだろうなと感じた.

一方で,本書のシェーンの事件の方が巧妙で捏造が明らかになるまでの期間が1年以上と長く,その間に出された論文量は何十件もあり,ノーベル賞候補とまで噂されていた.もちろん悪いことなのだが,それでも「上手いことやったなぁ(騙したなぁ),地頭はそれなりに良いんだろうなぁ」という印象を受けた.これはボロボロと嘘がバレていく小保方氏には感じなかったことである.特に,他の科学者の誰もが彼の実験を再現できないことに対して科学者たちの中では「彼が特別な装置"マジックマシン"を持っているからだ」「特別な秘密があり,それは特許と関連しているのでは?」と良い方へと解釈されて噂されていたのが興味深い.性善説が根底にある,純粋な科学の文化のひとつだろう.

この本を読んで,捏造論文を掲載した一流ジャーナルの『Science』と『Nature』の対応にはがっかりした.たしかに,掲載する論文に100%間違いがないと保証するのは非現実的であるけれど,ジャーナル側にはまったく責任がないと開き直られるのはなんだか釈然としない.実際に,シェーンの論文の査読者の中には,確信を突く部分を指摘した人もいたけれど,その意見には対応せず論文を掲載してしまっている.著者の指摘する,総合科学雑誌としてセンセーショナルな記事の優先は,科学界の問題のひとつだろう.

もうひとつ残念だったのは,研究のリーダであるバトログ氏のインタビューでの発言.そもそもベル研究所調査委員会で捏造と判定されてから,彼はマスコミの前に顔を出していなかったらしい.2年間の沈黙を破った彼のインタビューは「研究所の科学者は一人前として扱われる」「共同研究では自分の担当部分のみに責任が生じる」「シェーンとは何回もディスカッションしていた」など,リーダの自分には責任がないという主張が読み取れる.彼は,その後もなお大学教授をしており,物理学界に居続けているのだ.

最後の章で,著者は現代の科学界のシステムが時代遅れなのではないか,と提言している.この点については,はたして本当にそうだろうか?と疑問が残る.彼の主張からは,科学の世界の外側にいる人だからできる,ある意味理想的だけれど無垢で現実味のなさが感じられる.ただ,大学や研究所の中の人が,この提言に耳を傾け,科学全体のシステムについて再考するキッカケにはなるのかもしれないと感じた.

論文捏造 (中公新書ラクレ)

論文捏造 (中公新書ラクレ)

 

 【目次】

第1章 伝説の誕生

第2章 カリスマを信じた人々

第3章 スター科学者の光と影

第4章 なぜ告発できなかったのかー担保されない「正しさ」

第5章 そのとき、バトログはー研究リーダーの苦悶

第6章 それでもシェーンは正しい?-変質した「科学の殿堂」

第7章 発覚

第8章 残された謎

第9章 夢の終わりに

 

NHKのドキュメンタリーらしい場面展開や外国人の発言の言い回しなどが,文章になっても残っていて面白かった.さて,次はこちら読みますね.

背信の科学者たち 論文捏造はなぜ繰り返されるのか?

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